石取祭

天下の奇祭 石取祭

石取祭は毎年八月第一日曜日を本楽、前日を試楽として行われています。
試楽日は午前零時に神前神楽太鼓を合図に各町内の祭車が一斉に鉦・太鼓を叩き出しますが、この叩出の瞬間その光景はまさに勇壮無比なものであり、市民が一年間待ち焦がれていた祭の始まりです。本楽日は午前二時の叩出を経て、いよいよ夕刻からは祭の最高潮、春日神社(桑名宗社)への渡祭が始まります。叩出から二日間にわたる勇壮無比な祭、何もかもいっぺんに吹き飛んでしまうような御祭であり、天下の奇祭、日本一やかましい祭と呼ばれるに相応しいものであります。

神前神楽太鼓 神前神楽太鼓

神前神楽太鼓


石取祭とは、桑名神社の大祭である前期桑名祭(比与利祭)の中の一神事であったのが、宝暦年間(1750年代)に分かれたものです。比与利というのは、この祭を行うために桑名市南郊の町屋川へ行き、禊祓し石を選ぶ途中ヒョウリヒョウリと笛を吹き謡ったのから起こって遂にヒヨリ祭というようになったのであると考えられています。

さて、石取祭については石占の説、社地修理の説、流鏑馬の馬場修理の説などがあります(詳しくは下部に記載)が、桑名市の南郊外に流れている町屋川から、徳川初期氏子の人たちが七月七日より十七日まで毎日川へ行き、新しい俵に川の栗石を拾い入れて、小さな車に載せて鉦・太鼓を打ち鳴らし、夜になると提燈をつけて神社へ参り、神前に奉納しました。この小さな車が石取祭車の始まりであります。その後祭車も大きくまた美しくなり、明治・大正・昭和にかけて石取の発展も年々すばらしくなり、これらの祭車の中には百数十年を経たもの、高村光雲・立川和四郎富重・井尻翠雲といった彫刻師により彫刻を施されたもの、祭車に漆を塗ったもの、あるいは天幕に描かれている図柄の豪華なものもあり、その芸術的価値は高く評価されているだけでなく、その時代を生きてきた人びとの心がこもっており、石取祭の歴史を物語るうえでも十分な価値があると思われます。

石取祭車 石取祭車

石取祭車


比与利祭は、石取神事、流鏑馬神事、ねり物神事などを合わせたものであり、その起源については以下の3つの節があります。

 一 石占の説
 石によって神意を占う習俗で石を持ってみて重く感じたり軽く感じるのにより神意を判断したり、石を投げて落ちる状態により、これを占う。
 
 二 社地修理の説
 神社の地は海川が近く地が低いので、納涼のはじめに氏子のものが町屋川より石を拾って来て社地に敷き施したが、七夕の行事と合せて、だんだん盛んになった。

 三 流鏑馬の馬場修理の説
 比与利祭の流鏑馬神事を行うので、その馬場を修理するために町屋川より石を運んだことにより始まった。